2022年2月4日金曜日

【アメリカの歴史】26.付録「トランプ現象」と「負け犬白人」たち

【アメリカの歴史】26.付録「トランプ現象」と「負け犬白人」たち】

                                     (アメリカン・サブカルチャーからその淵源を辿る)

>日本人がまったく知らないアメリカの「負け犬白人」たち
 
 「トランプ現象」で世間が騒がしいが、この記事では、その背景になった「負け犬白人」たちをリアルに解説してくれている。「ヒルビリー(Hillbilly)」と呼ばれる白人層で、ほかにも「レッド・ネック(red neck)」とか「ホワイト・トラッシュ(White Trash)」とかさまざまな蔑称で呼ばれている。

 何となくそういうことは聞いていたが、この記事ではアメリカン・サブカルチャーに沿って描いてくれるので、具体的にイメージできる。

 例えば映画やTVドラマでいうと、60年代の『じゃじゃ馬億万長者 ”The Beverly Hillbillies"』、恐怖の対象としての「ヒルビリー」ではジョン・ブアマン監督の映画『脱出』(1972年)、そしてチェーンソーを手にした「恐い白人」が迫ってくるトビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(1974年)と並ぶ。 https://www.youtube.com/watch?v=OvE9zJgm8OY

 コメディからサスペンスホラーまで、様々なタッチで描かれたヒルビリーが、こう並べられると具体的に繋がってイメージされてくる。これらは、白人のなかでもとくに男性を中心に取り上げて、「怒れる白人男性(Angry White Male=AWM)」と呼ばれることもある。

 ポピュラー音楽の分野では、「ヒルビリー」そのものの名が冠せられていた音楽ジャンルがあったのだが、これは今日「カントリー(C&W)」と呼ばれるようになっている。これは例えれば、アメリカ人の「演歌」みたいなものとも言えるかも。

 ロックやフォークのように世界に広がることはないが、アメリカ国内ではそれらを上回る人気がある。日本では国民的歌手というと演歌界から登場するように、アメリカ国民的歌手の大物となれば、カントリー界の歌手になる。

 そのような西部劇やカントリーの世界では、独立独歩の価値観が称揚され、それはいわば「アウトサイダーの論理」でもある。そしてそれは、共和党の中に埋め込まれた価値観でもあり、『ダーティハリー』を演じたクリント・イーストウッドが、一貫した共和党支持者であるというのもすんなりと繋がって来る。

 これらの「負け犬白人」たちは、かつてのヒッピーなどカウンターカルチャーの象徴であったドラッグではなく、いわばアルコールと入れ墨に沈潜するゾンビであった。そのゾンビが、トランプによって目覚めさせられたと考えると、これはかなり恐ろしい事だと言うべきなのかもしれない。

<追記1>
 アメリカン・ニューシネマの代表作『イージーライダー』では、まさに理不尽なラストシーンが描きだされる。主人公の二人のヒッピーが気持ちよくオートバイを走らせるなか、いき違うトラックの田舎の農民が、何の脈絡もなく二人のライダーをライフルで射殺して、映画は終わる。

 この不可解なラストシーンを、”アメリカ”に反発するカウンターカルチャーのヒッピーと、”アメリカ”に置いて行かれる、超保守化というより原始化、野蛮化したヒルビリーとの軋轢と捉えると、あの理不尽な終わり方の意味が分ってくる。そして、実質上”アメリカ”を支配する”ビッグブラザー”は、画面に登場して来ない。そのことが、不気味な将来を予感させて終わる。 https://www.youtube.com/watch?v=hjYAEtO-Ohk
 
 ビッグブラザーは顔を見せない。それは当然で、ヒトラーとかいった固有名では示されない集団であり、あえて言うならば「エスタブリッシュメント(Establishment)」という支配層である。

 そして大統領選では、ヒッピーの末裔たちはサンダースを支持し、ヒルビリーはトランプに期待をかけた。そして彼ら双方からは、ヒラリーが、ビッグブラザーの象徴として映ったわけだろう(笑)

<追記2>
 アニメ『ザ・シンプソンズ』--2000年に放送されたシリーズでは、トランプそっくりの大統領を登場させて、トランプ登場を予言したとも言われているらしい。アニメではアメリカの典型的な中産階級の家庭と設定されているが、崩壊した労働者家庭のトンチンカンな様子が風刺的に描かれる。 https://www.youtube.com/watch?v=4w8fm7OvsTQ

<追記3>

 ノーベル賞作家ジョン・スタインベック 『怒りの葡萄』では、1930年代の大恐慌の時代、オクラホマ州はじめアメリカ中西部で深刻化した「ダストボウル(大砂嵐)」で、耕作不能となって流民となった農民の、苦難の移住の様子を描く。 http://cinepara.iinaa.net/The_Grapes_of_Wrath.html

 彼らがたどった「ルート66」は、やがて自動車道となり、1960年代のTV映画『ルート66』では、シボレー・コルベットに乗った2人の若者トッドとバズのロードムービーとして登場した。 https://www.youtube.com/watch?v=ebOdXvYF27E


 そして、ダストボウル時代にカリフォルニアに移住したオーキーの一人、フォークシンガーのウディ・ガスリーを知った。あのボブ・ディランはガスリーの曲を聴いて衝撃を受けたという。 https://www.youtube.com/watch?v=xOpsGkC5-tE&list=PL465DDE805696E09B&index=3:title

 彼らはカリフォルニアなどの西海岸に至り、小農となったり労働者となったり、そして末裔はヒッピーにもなった。この辺をたどると、「ヒルビリー」と全く対照的な下層白人という姿も見えて来る。彼らはサンダースのような左系民主党を支持したのではないか。

2022年2月3日木曜日

【アメリカの歴史】25.[番外]アメリカ政党史概観5/5

【アメリカの歴史】25.[番外]アメリカ政党史概観5/5


 第二次大戦後の世界は東西冷戦を基軸に展開し、民主党大統領と共和党大統領がほぼ交互に政権を担当し現在に至る。民主党”Democratic Party”は「社会福祉」を重視した「大きな政府」を展開し、政策的には「リベラル"liberal"」で「連邦重視」とされる。一方共和党”Republican Party”は、「市場重視」の「小さな政府」を志向し、政策は「保守”Conservatism”」で「州権重視」と言われる。

 当初は民主党が右派で共和党が左派に位置付けられていたが、20世紀前期に保革が逆転した。南北戦争時に「共和党」が誕生したころは、北部の商工業者、福音主義・敬虔主義のプロテスタントの支持を集める「改革」の党であった。他方の「民主党」は南部の農業主の支持を集めたが、南北戦争で敗れると長期低落に落ち込む。共和党は19世紀には、進展する産業革命にともない、産業資本家やそれと利害関係を持つ西部農民を支持基盤として拡大し、大恐慌までほぼ大統領職を独占した。

 民主党はウッドロー・ウィルソンのころから方針転換し、東海岸や西海岸の都市部に住む低所得層や移民に着目し、1920年代になると民主党は都市大衆を基盤とした勢力として本格的に再生されていく。これを加速したのが、世界大恐慌を背景にしたフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策だった。

・「ニューディール政策の内容をわかりやすく説明!結果は失敗だった?」 
https://america-info.site/new-deal

 ニューディール政策では、社会保障法の制定や高率の累進所得税や法人税の設定など社会主義的政策を進め、F・ルーズベルトは左旋回し、労働者・小農・失業者・移民・黒人などの低所得者層から支持されて、1936年以降の長年にわたる民主党政権の確立に成功した。逆に共和党はルーズベルトへの対抗から保守化を強めていった。

・「白人たちはなぜ貧困化したのか」 
https://globe.asahi.com/article/11535361

 以後、民主党は東海岸や西海岸の都市部のマイノリティーの支持を集め、これらの民主党が強い州は「青い州」、他方、中西部や南部の人口が少ない農業地帯は共和党の地盤となり、この地域は「赤い州」となった(青は民主党のシンボルカラーで赤が共和党カラーだから)。

 しかしこのような通念は、2016年大統領選の共和党候補トランプの登場により大混乱を引き起こす。マイノリティや貧困層の味方と思われていた民主党が、実際にはウォール街の金融資本・大手マスコミ・GAFAと呼ばれるグローバルネット企業などの資金をバックにした大金持ちが支配する党だということが暴露されるようになった。

・「ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史」 https://gyao.yahoo.co.jp/store/title/349176

 他方でトランプが掘り起こした支持層は、「ラストベルト”Rust Belt”」と呼ばれる地域の白人労働者や失業者で、この地域はかつて重工業で栄えたが、産業空洞化で斜陽化している。また、中西部の没落した農民などが、山間地域で孤立化原始化して原理主義的なキリスト教の信者になったりした層がある。

 彼らはサイレント・マジョリティとして、政治的なボリューム集団としては認識されていなかったところに、トランプの登場が彼らをよみがえらせたとも言える。民主党は、大手資本に支持される中道保守と、改革を求める若者たちに支持される左派に分断され、共和党は、従来の主流だった共和党保守派が、トランプが煽った動きに対応できなくなって分裂している。

 アメリカは新たな大きな分断に晒されていると言われるが、これは従来からの「民主党vs共和党」という図式では解決できない。両党とも大きな分裂に晒されているわけで、それは目に見えずに進行していた「大きな分断」が、トランプ登場によって可視化されたということに過ぎない。

2022年2月2日水曜日

【アメリカの歴史】24.[番外]アメリカ政党史概観4/5

【アメリカの歴史】24.[番外]アメリカ政党史概観4/5


 世界一の経済力をもったアメリカは、第一次大戦後に続いた共和党政権下で、「狂騒の20年代」と呼ばれた未曽有の好況を迎えるが、やがて「大恐慌」がウォール街を襲った。時の共和党大統領「ハーバート・フーバー」は「古典派経済学」を信奉し、政府による経済介入を最小限に抑える自由主義経済政策を継続したため、無策だと批判された。そして1932年の大統領選では、積極的に経済に介入する「ニューディール政策」を掲げた民主党の「フランクリン・ルーズベルト」が勝利した。

 F・ルーズベルト大統領は、大規模公共事業を中心とした「ニューディール政策」によって、収縮した需要を国の財政主導で創出して乗り切ろうとした。これは、ジョン・メイナード・ケインズによる「ケインズ理論」に沿ったものとされることがあるが、それほど一貫したものではなく、ケインズの論文が発表されたのは後の1936年であった。

 ニューディール政策はそれなりの成果を見せたかに思われたが、その成果は徐々に薄れていって、1930年代後半には再び危機的状況に陥った。大恐慌から本格的に立ち直るには、第二次大戦の兵器などでの膨大な需要の創出が必要だったのである。

 F・ルーズベルトのニューディール政策および第二次大戦への参戦は、必然的に「大きな政府」を必要とし連邦政府の力を強めることになった。ルーズベルトは、民主党によって「世界恐慌の結果発生した貧困層の救済」という新たな政策目的を打ち出し、大きな民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における民主党の優位をもたらした。

 ルーズベルトは1945年4月、ドイツ陥落の直前に病死し、副大統領だったハリー・トルーマンが就任した。トルーマンは外交経験が全く無く、そのまま政権を継承し、日本への原爆投下を認可し、太平洋戦争を終わらせた。

 トルーマンは2期8年間、1953年まで大統領を務めたが、この時期は第二次大戦の戦後処理で連合国間での対処に追われ、米ソ対立に共産党中国が成立するなど、東西冷戦が始まった時期で、その背景の下で朝鮮戦争が勃発した。外交を苦手とするトルーマンが、皮肉にも外交と戦争に追われる形で2期の任期を務めた。

 第二次大戦のヨーロッパ戦争での英雄ドワイト・アイゼンハワー(アイク)が、1952年アメリカ合衆国大統領選挙に共和党から出馬して次期大統領に選ばれた。アイクはその生涯をほぼ軍人として過ごし、政治にはほとんど関心がなかったが、その国民的人気から共和党から大統領候補に押し立てられた。

 アイゼンハワーの大統領時代は、ソビエト連邦を筆頭とする東側諸国とアメリカ合衆国を代表とする西側諸国との「東西冷戦」の最盛期であり、政権を支えたニクソン副大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官などとともに、共産主義との戦いを指揮し対峙した。

2022年2月1日火曜日

【アメリカの歴史】23.[番外]アメリカ政党史概観3/5

【アメリカの歴史】23.[番外]アメリカ政党史概観3/5


 19世紀には、石油や電力を中心とした第二次産業革命が起こり、アメリカの工業力は英国を追い抜いて世界一となった。そして巨大資本による独占体が成長し、カーネギー、モルガン、ロックフェラーなどの巨大財閥が、アメリカ経済を支配するようになった。

 一方で19世紀後半からのヨーロッパでは、人口が急増し食糧難が頻発したため、このため新天地アメリカを目指して、南欧や東欧からの新移民が増加し、後発の彼らは都市部で、低所得者としてスラム街を形成した。また西海岸を中心に、清や日本からの東洋人の移民も多く発生した。

 これらの人口構成の変化に、共和党の後塵を拝していた民主党は方針転換し、東海岸や西海岸の都市部の貧困労働者に生活保護などの福祉政策を行い、「連邦重視の大きな政府」を志向するようになった。これらの移民層も、定住し徐々に選挙権を持つようになったので、民主党は選挙で票を獲得するようになった。

 1912年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党は候補者の一本化に失敗し、民主党の大統領候補のウッドロー・ウィルソンが、都市貧困層などの票を集めて大統領選に勝利する。もともと行政学者だったウィルソン大統領は、ニュー・フリーダムと呼ばれる進歩主義的国内改革を実行した。

 ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発したが、アメリカ合衆国の中立の立場を表明して、 1916年アメリカ合衆国大統領選挙での再選に結びつけた。しかしドイツの潜水艦によるルシタニア号撃沈事件が起こり、米国の反独の国民感情が高まると、一転してウィルソンはドイツへの宣戦を布告する。

 アメリカの参戦により戦況は一気に連合国側に傾き、大戦末期にウィルソンが「十四ヵ条の平和原則」を発表すると、疲弊しきったドイツ帝国は降伏する。ウィルソンは、「平和原則」で示した公正な態度のため、公正な調停を期待して「パリ講和会議」では重要な役割を担い、それは「ヴェルサイユ条約」の原則となった。

 ウィルソンは、新外交の中心と位置づけた「国際連盟」を推進し成立にこぎつけたが、各論では戦勝国の思惑が錯綜し、国際連盟は実効性の乏しいものとされ、しかもアメリカ議会そのものが、モンロー主義を唱えて反対し、その批准を得られなかった。議会でウィルソンの提案が否決された後、ウィルソンは病が重篤となり、共和党のハーディングが次の大統領となったため、アメリカ合衆国の国際連盟加盟の道は断たれた。

 ウッドロー・ウィルソンは理想主義を掲げて世界のヒノキ舞台に登場するが、具体的な難問を処理する政治手腕が決定的に欠落しており、ウォール街の金融資本に操られるグローバリズムに乗ったに過ぎないと見られる。

2022年1月31日月曜日

【アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5

【アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5


 1775年の「アメリカ独立戦争」から1890年の「フロンティアの消滅」にかけて、アメリカ合衆国は西へ西へと領土を広げていったが、南北戦争後にはほぼ共和党が政権を握った。まずフランス領ルイジアナの買収から、イギリス領カナダの一部を交換で獲得するなどして、ミズーリ川西岸地域が領土となり、さらにメキシコから独立していたテキサスを併合、スペインからフロリダを購入し、またオレゴンを併合して領土は太平洋に到達した。さらに、メキシコとの米墨戦争に勝利しカリフォルニアを獲得するなど、ほぼ今の合衆国の領土に近づいた。

 しかし、グレートプレーンズからロッキー山脈にいたる峻厳な自然に阻まれ、インディアンとバッファローが散在するだけの荒れ地や山地が横たわっており、やっとフロンティアを西に進める本格的な西部開拓史が端緒に着いたが、西部開拓は困難をきわめた。東西交通は馬車で4000m級の険しいロッキーを越えるのは困難で、西海岸に船舶で行くには、南米大陸の南端を回る為、移動に4ヵ月以上を要した。

 この困難を解消するため、リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の基幹となる「大陸横断鉄道」の建設を進めた。南北戦争の勝利で黒人奴隷は解放されたが、解放後の対策は不十分で、大半の黒人はシェアクロッパー(分益小作人)として南部地主のもとにとどまった。そのため北部が期待した労働者になるものは意外に少なかった。

 そのため大量の労働者を必要とした大陸横断鉄道の建設には、新たな移民が動員された。東側には、ジャガイモ飢饉で本国に住めなくなったアイルランド移民などが多く動員され、西海岸には、船で太平洋を横断して直接に運ばれる中国人移民が大半となり、苦力(クーリー)と呼ばれた。

 1869年に最初の大陸横断鉄道が開通し、順次開業していくと、アメリカは実質的にも精神的にも、やっと国土が一つとなった。合衆国は、鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファロー(バイソン)を、絶滅させる作戦をとった。さらに一連の「インディアン戦争」と呼ばれるインディアン部族の一斉蜂起も鎮圧し、1890年には、インディアンの掃討作戦は終了したとして「フロンティアの消滅」が宣言された。

 フロンティアの消滅が公式に宣言され、インディアン戦争も終わりを告げ、西部開拓の時代も一段落した。ヨーロッパ列強はアフリカやアジアに植民地を獲得しつつあったので、アメリカも更なるフロンティアを海外へ求め、外に目を向けるようになった。

 1889年にパン・アメリカ会議が開催されると、これを契機にアメリカはラテンアメリカへの進出を始める。1896年のアメリカ合衆国大統領選挙で、「共和党のウィリアム・マッキンリー」が勝利を収めると、国内産業を育成し急速な成長と繁栄の時代を到来させ、南北戦争で出遅れたアメリカも、帝国主義に参戦した。

 1898年、米西戦争が勃発すると、アメリカ軍はスペイン艦隊を壊滅させ、キューバとフィリピンをスペインから獲得するとともに、ハワイ共和国を併合、お膝元のカリブ海や太平洋地域に勢力圏を確保した。マッキンリーは暗殺されるが、副大統領の「セオドア・ルーズベルト」が後任となり、「ルーズベルト命題」を発表し、ラテンアメリカ諸国がアメリカの権益下にあることを宣言した。

 そして、太平洋への経路としてパナマ運河建設権を得て、運河地帯の永久租借権を獲得した。太平洋の対岸の東アジアでは、西欧列強により中国の分割が進んでいたが、セオドア・ルーズベルト大統領は、清国の門戸開放を提唱して、アジアへの進出をもくろんだ。

2022年1月30日日曜日

【アメリカの歴史】21.[番外]アメリカ政党史概観1/5

【アメリカの歴史】21.[番外]アメリカ政党史概観1/5


 アメリカ独立戦争の前から、北部では造船・運輸などの産業が発展をはじめ、イギリス本国の産業と競争するようになってきた。イギリス本国は印紙税などをアメリカ植民地に課して産業発展の妨害をしたため、パトリオット(独立派)の声が大きくなった。

 一方、農業主体の南部では、綿花やタバコなどの農産物を英国に輸出するため、英国に残留しようとするロイヤリスト(忠誠派)が多かった。アメリカ13植民地では大陸会議を開いて方針を検討したがまとまらず、「ボストン茶会事件」に端を発した植民地の反乱は、1775年レキシントン・コンコードの戦いで独立戦争が勃発した。

 独立の機運は高まり、1776年7月4日、大陸会議は「アメリカ独立宣言」を採択した。組織的な軍事力をもたない植民地は苦戦したが、徐々に利害の絡むヨーロッパ諸国を巻き込んだ国際的な戦争に変化していき、フランス・スペイン・オランダなど英国と競合する国がアメリカ大陸軍を支援し、1783年ついにパリ講和条約が締結され、アメリカ大陸植民地は独立を獲得する。

 独立戦争の英雄「ジョージ・ワシントン」が初代大統領となったが、独立した13州の合衆国は、まだ統一国家としての形態が未熟で、強力な統一政府を作るために1787年、フィラデルフィアで憲法制定会議が開催され、「主権在民の共和制」「三権(立法・司法・行政)分立」「連邦制」を基本とした「アメリカ合衆国憲法」が制定された。

 かくして「アメリカ合衆国」が誕生するが、この憲法に対する批判運動が起こり、連邦憲法容認の「連邦派(フェデラル)」と連邦制反対の「協和派(リパブリカン)」が対立するようになった。その後リパブリカンが主流となるが、さらに連邦主義を容認する「国民共和党(ナショナル・リパブリカン/ホイッグ党)」と州権主義を維持する「民主共和党(デモクラティック・リパブリカン)」に分裂する。

 後者が「アンドリュー・ジャクソン」を第7代大統領に当選させると、「民主党」と改名して勢力を拡大した。庶民派を標榜するジャクソンは、競争の自由・普通選挙制(白人限定)など民主的な政策を進め、票を集めたが、その後、黒人奴隷制を支持する南部党員と奴隷制に批判的な北部党員の間で亀裂が深まった。

 南部中心に奴隷制支持に振れていった民主党に対して、北部を基盤に反奴隷制を標榜する進歩主義政党「共和党」が結成された。奴隷制が争点となった1860年アメリカ合衆国大統領選挙では、民主党候補が割れたため、40%の得票だった共和党の「アブラハム・リンカーン」が17代大統領に就任する。

 そして南北の対立は決定的となり「南北戦争」が起こる。北軍を支持した共和党は北部の勝利により圧倒的に支持を増やし、南の支持に傾いていた民主党は勢力を失う。なお、この時期の支持基盤層や支持基盤地域は、「北部連邦派の共和党」と「南部州権派の民主党」であり、現在とほぼ逆だったことに注目する必要がある。

2022年1月29日土曜日

【アメリカの歴史】20.トランプ政権の誕生とアメリカの分断(2017- )

【アメリカの歴史】20.トランプ政権の誕生とアメリカの分断(2017- )


 2016年7月、共和党予備選挙で正式に大統領候補に指名されたドナルド・トランプは、2016年11月の2016年アメリカ合衆国大統領選挙の一般投票でも、民主党指名候補のヒラリー・クリントンらを相手に、アメリカの大手マスコミの殆どを敵に回しての選挙戦の末、全米で過半数の選挙人を獲得し勝利した。

 民主党バラク・オバマの後任として、2017年1月20日に第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。その並外れた言動から暴言王とも称され、実業家出身で政治経歴のないドナルド・トランプが大統領に選ばれたこと自体、異例中の異例で世界中のマスコミを驚かせた。

 2017年1月20日、第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプの就任式が挙行され、就任式のテーマは"Uniquely American"としてアメリカの独自性を強調し、"united behind an enduring republic" というフレーズで「アメリカ・ファースト」での国民的統合を訴えた。

 しかし、野党である民主党の議員らが就任式の出席を拒否し、著名な芸能人も大統領就任式への出演依頼を拒否し、アメリカ国内の各j地では、トランプの大統領就任に反対するデモが実施され、新大統領の歓迎ムードに水をさす雰囲気が大きく報道された。

 トランプ大統領は就任すると幾つもの大統領令などを発し、「医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃」「環太平洋パートナーシップ(TPP)からの撤退」「メキシコなどからの不法移民規制」「気候変動の多国間協定(パリ協定)からの離脱」「イラン核合意からの離脱」「国連人権理事会(UNHRC)からの離脱」「キューバとの国交正常化の否定」など、前任のオバマ民主党政権の政策を全否定する政策を展開した。

 トランプの政策的主張は共和党の主流派とは大きく異なっており、共和党主流はトランプに批判的な意見が多い。そもそも、かつては民主党員であり、合衆国改革党にも所属していた。2012年アメリカ合衆国大統領選挙では、世論調査で共和党の候補として2位の支持率を獲得したが、不出馬を表明した。2016年大統領選で共和党から出馬したが、出馬表明の場でトランプは、メキシコからの移民や不法入国者を犯罪者扱いする破天荒な発言をし、増大するヒスパニック(中南米)系住民の反発を受けた。

 その後も様々な問題発言を発しながらも、トランプは共和党の指名候補争いでトップの支持率を保ち続け、ついに共和党の大統領候補になったが、トランプ人気の高まりとともに、共和党支持者の中からも反トランプの声が強くなった。しかしあれよあれよという間に、実業家出身で政治経歴のないドナルド・トランプが、元ファーストレディの民主党候補ヒラリー・クリントンを破り当選を果たし大統領に選出されてしまった。

 ドナルド・トランプは金持ちであるが、不動産業で成り上がった成金に過ぎず、ウォール街を支配する金融大資本とは無縁だった。むしろウォール街側は、反トランプの広告に何百万ドルも使って、トランプの勝利を阻もうとしたと言われる。

 さらに、ニューヨークタイムズなど主要ジャーナリズムやCNNなど大手TV局といったメジャーなマスコミが、こぞってトランプ批判を繰り返した。そして大都市のインテリ層も粗雑な言動のトランプを毛嫌いし、学生など若者も反トランプのデモを展開した。表に流れる情報は、圧倒的に反トランプ一色だった。

 しかしトランプが勝利したことで、やっとトランプ側の支持層の分析が始まった。大手のジャーナリズムは、「高校を出ていない白人」「農業や製造業といった古い産業の底辺」とし、「高卒の白人、特に男」「下流労働者で非民主的な思想の持ち主」だと分析した。しかしこれらの表層分析では、決して「トランプ人気」の源流を抉り出せなかった。

 2020年アメリカ合衆国大統領選挙では、コロナウイルス感染症への対策ミスなどで、土壇場で民主党バイデン候補に敗れることになるが、それでも全米で7,400万票を獲得するなどバイデンに肉薄した。これだけ根強いトランプ支持者は、どこから「湧いてきた」のだろうか。それは、いまだまともな解析がなされたとは言い難い。

 ラストベルトと呼ばれる廃れた工業地域の労働者、いまだ進化論を認めないキリスト教原理主義の福音派(evangelical)、ヒルビリーやレッドネックと呼ばれる半野蛮化した白人貧困層、これらは近代産業の進展とグローバル化の世界に置いていかれた層として、社会の底辺に沈潜していた。それらのゾンビが、トランプの「アメリカ・ファースト」に目覚めさせられたというのは、一つの視点ではなかろうか。

 アメリカのサブカルチャーの歴史をたどってみると、うなずけることが多い。かつてトランプ政権が誕生したときに書いたものを、下記にリンクしておく。

「トランプ現象」と「負け犬白人」たち https://naniuji.hatenablog.com/entry/20170203

2022年1月28日金曜日

【アメリカの歴史】19.バラク・オバマ民主党政権の8年(2009-2017)

【アメリカの歴史】19.バラク・オバマ民主党政権の8年(2009-2017)


 バラク・オバマ(バラク・フセイン・オバマ2世)は、ケニア生まれの留学生の父親と、白人系の母親との間で、ハワイ州ホノルルで誕生した。ハーバード・ロー・スクール卒業後、公民権を擁護する人権は弁護士となり、その後イリノイ州議会上院議員として政界に進出する。

 2008年の大統領選では、当初泡沫候補視されていたが、急激に頭角をあらわし、ヒラリー・クリントンとの接戦の末に民主党の大統領候補に指名された。その勢いで、共和党候補のジョン・マケインを抑えて当選し、2009年1月ジョー・バイデン副大統領と共に第44代アメリカ合衆国大統領に就任した。

 オバマは初の非白人の大統領であり、初のアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領となった。ただしオバマの父親は、アフリカのケニアから来たエリート留学生であり、アメリカ建国以来アフリカから輸入された黒人奴隷に直接の出自をもつものではない。

 オバマは大統領予備選のころから、"Change!"というキーワードを提示し、聴衆の前で ”yes we can!” と呼びかける演説で人気を獲得してきた。そして2009年1月には、全米からワシントンD.C.に集まった200万人を超える観衆の前で、大統領就任演説をおこなった。ベトナム戦争以降、数代の大統領の失政で自信を喪失した国民に対して、「米国再生」を確信させる力強い名演説を展開した。

 オバマは就任して最初の2年間に、それまで持ち越されてきた課題を解決すべく、多くの画期的な法案に署名して法律を成立させた。「医療保険制度改革(オバマケア)」、「税制救済・失業保険再承認・雇用創出法」などは、病人・失業者など弱者に対する救済の手を差し伸べる法案として期待された。

 また外交政策では、泥沼化したアフガニスタン紛争での処理、混乱の極みに陥ったイラク戦争後のイラク、などに対処し、リビアではカダフィ政権を打倒し、アルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディンに死をもたらすなど、軍事アクションも示した。

 オバマは予備選挙でライバルとして闘ったヒラリー・ロダム・クリントンを国務長官(外務大臣に相当)に起用した。ヒラリーは外交・経済・軍事・政治・法律・文化を状況に応じて組み合わせ、その場に適切で正しい手段を用いる「スマート・パワー」提唱したが、このオバマ&ヒラリーの外交は「現実主義の一形態」と規定され、イデオロギーに拘らない現実的な外交を展開するものとされた。

 オバマ大統領は、米中関係は21世紀の運命を決める世界で最も重要な二国間関係であるとしたが、一方で中国の人権問題は許されるべきでないと述べた。しかし、この硬軟併せ持った方針は現実的で融和的な政策ではあったが、一旦有事となると具体的なアクションを起せない現実是認外交とも見られた。

 その弱点を露呈させたのは、「戦略的忍耐」という北朝鮮政策にみられる。2009年1月オバマの大統領就任間もなく、北朝鮮は再びミサイルの発射テストを始めたため、オバマ政権は北朝鮮の挑発的な行動に対し警告した。この時期、北朝鮮は金正日書記の健康不安が進行し、核開発の実績つくりを急いでいたとみられる。

 2012年に金正恩体制に代わって、核実験の中断と国際原子力機関査察に合意するなど、対話姿勢を見せながらも、すぐに長距離ミサイルを発射して米朝合意を破るなど、オバマの対応を翻弄した。結局このようなオバマ政権の戦略的忍耐政策は、北朝鮮の核開発、ミサイル開発を促進してしまったとされる。

 オバマは、2012年アメリカ合衆国大統領選挙にも再選を賭けて出馬し、共和党候補者のミット・ロムニーと激しい選挙戦を展開したが、接戦の末に勝利を収め、アメリカ大統領に再選された。2期目のオバマ大統領は、外交実績を作るために積極的に動いた。

 2013年9月にイランのハサン・ロウハーニー大統領と電話で会談し、イラン革命後初めてのアメリカ合衆国・イラン両国首脳の接触となり、やがてイランの核兵器開発を大幅に制限する「イラン核合意」を成立させた。

 また2014年12月、オバマはキューバ国家評議会議長ラウル・カストロと国交正常化交渉の開始を発表し「キューバの雪解け」を演出し、2015年7月にアメリカとキューバ相互に大使館が再び開設され、1961年に断交して以来54年ぶりに国交を回復させた。

 しかしこれらの合意は、オバマ政権の末期に当たってレジェンド造りを急いだ感が否めず、次のトランプ大統領が就任すると、中身が未成熟であるとしてことごとくひっくり返されている。