【アメリカの歴史】24.[番外]アメリカ政党史概観4/5
世界一の経済力をもったアメリカは、第一次大戦後に続いた共和党政権下で、「狂騒の20年代」と呼ばれた未曽有の好況を迎えるが、やがて「大恐慌」がウォール街を襲った。時の共和党大統領「ハーバート・フーバー」は「古典派経済学」を信奉し、政府による経済介入を最小限に抑える自由主義経済政策を継続したため、無策だと批判された。そして1932年の大統領選では、積極的に経済に介入する「ニューディール政策」を掲げた民主党の「フランクリン・ルーズベルト」が勝利した。
F・ルーズベルト大統領は、大規模公共事業を中心とした「ニューディール政策」によって、収縮した需要を国の財政主導で創出して乗り切ろうとした。これは、ジョン・メイナード・ケインズによる「ケインズ理論」に沿ったものとされることがあるが、それほど一貫したものではなく、ケインズの論文が発表されたのは後の1936年であった。
ニューディール政策はそれなりの成果を見せたかに思われたが、その成果は徐々に薄れていって、1930年代後半には再び危機的状況に陥った。大恐慌から本格的に立ち直るには、第二次大戦の兵器などでの膨大な需要の創出が必要だったのである。
F・ルーズベルトのニューディール政策および第二次大戦への参戦は、必然的に「大きな政府」を必要とし連邦政府の力を強めることになった。ルーズベルトは、民主党によって「世界恐慌の結果発生した貧困層の救済」という新たな政策目的を打ち出し、大きな民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における民主党の優位をもたらした。
ルーズベルトは1945年4月、ドイツ陥落の直前に病死し、副大統領だったハリー・トルーマンが就任した。トルーマンは外交経験が全く無く、そのまま政権を継承し、日本への原爆投下を認可し、太平洋戦争を終わらせた。
トルーマンは2期8年間、1953年まで大統領を務めたが、この時期は第二次大戦の戦後処理で連合国間での対処に追われ、米ソ対立に共産党中国が成立するなど、東西冷戦が始まった時期で、その背景の下で朝鮮戦争が勃発した。外交を苦手とするトルーマンが、皮肉にも外交と戦争に追われる形で2期の任期を務めた。
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