【アメリカの歴史】06.インディアン戦争-1(1622年~1890)
「インディアン」とは英語でインド人のことをさすが、コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、そこが目指していたインドだと誤認していたため、以来、英語ではそこの住民をインディアンと呼ぶようになったとされる。
今では、アメリカ合衆国の先住民族を総称して「ネイティブ・アメリカン=Native Americans」と呼ばれることが多いが、ここでは歴史的記述をするため、合衆国本土やカナダに展開していた部族を「北米インディアンorインディアン」と便宜上よぶ。なお、中・南米に展開した先住民は、スペインやポルトガルのラテン語系に支配されたので「インディオ」と呼ばれた。
「インディアン戦争」とは、1622年から1890年の間の、アメリカへの白人入植者とインディアンの間で起きた抗争を総称したもので、イギリスなど白人の「アメリカ入植」開始から、インディアン掃討が完了したとされる「フロンティアの消滅」の時までをさすことが多い。
インディアン戦争は大きく分けて、次の4つの時代区分に分けられる。
1.白人がアメリカに入ってきて手探りでインディアンとの共存を探った最初期の時代。
1.白人がアメリカに入ってきて手探りでインディアンとの共存を探った最初期の時代。
2.アメリカ合衆国の独立とそれに続く期間であり、インディアンからの激しい抵抗があり、同化しないインディアンは排除され、ミシシッピ川から東にほぼインディアン居住地が無くなった時代。
3.南北戦争以降、ミシシッピ川以西に白人の入植が進み、アメリカ西部のインディアンが屈服させられて、フロンティアが消滅した時代。
4.1900年代初めにインディアン条約が合衆国側から破棄され、部族そのものが消滅させられ始めた時代。
3.南北戦争以降、ミシシッピ川以西に白人の入植が進み、アメリカ西部のインディアンが屈服させられて、フロンティアが消滅した時代。
4.1900年代初めにインディアン条約が合衆国側から破棄され、部族そのものが消滅させられ始めた時代。
初期の入植時には、入植場所やインディアンの部族ごとにことなるが、一般に白人と友好的な関係があったとされる。様々な理由で幾つもの小競り合いが入植者とインディアンの間であったが、「ジェームズタウンの虐殺」が初期の事件として知られている。1622年3月、ポウハタン族がバージニア植民地を攻撃し、ジェームズタウンで347人が死亡したとされる。
やがてインディアンと白人の間で大規模な抗争は各地で起こり、イギリスやフランスはそれぞれの別の地域に入植したので、その地域のピクォート族やイロコイ族といったインディアン部族との戦いが繰り広げられた。
17世紀末に始まったヨーロッパ列強の対立は、そのまま北アメリカに持ち込まれ、イギリスとフランスはアメリカの植民地でも戦闘を繰り返した。これらは「北米植民地戦争」と総称されるが、なかでも1756年の「フレンチ・インディアン戦争」は、英仏がそれぞれインディアンの部族と同盟を結んで戦ったのであるが、イギリス側からはこのように呼ばれた。
1775年「アメリカ独立戦争」が始まったが、結成されたばかりのアメリカ合衆国は、イギリスからの独立をめざすと同時に、イギリスが抱き込んだインディアン部族との闘いでもあった。しかし劣勢となったイギリスは、1783年アメリカと「パリ条約」を結んで独立を認め、ミシシッピー川以東の広大な英国領植民地をアメリカ合衆国に割譲した。
この時、インディアンたちは何も知らされないままに、自分たちの生活する広大な土地が、アメリカの領土とされてしまった。そしてその後、入植してくるアメリカ人とは、さらに土地を奪い合っての戦争が続くことになった。
1803年には、イギリスと対立を強めるフランスのナポレオン・ボナパルトから、ミシシッピー川以西のフランス領ルイジアナを買収した。その後も、1818年にイギリスから英領カナダの一部を交換で獲得、スペインからは1819年に南部のフロリダを購入した。また1845年には、メキシコから独立していたテキサスを併合、1846年にオレゴンを併合するなどして、領土は太平洋に到達した。
さらに、メキシコとの間の米墨戦争に勝利し、1848年にメキシコ北部ニューメキシコとカリフォルニアを獲得、1853年にさらにメキシコ北部を買収した。カリフォルニアで金鉱脈が発見されると、ゴールド・ラッシュが起きて、多数のインディアンが虐殺された。
かくして広大な中西部への開拓史が進展し、フロンティアは西へ西へと移動してゆく。しかし、大平原やロッキー山脈の強大な大自然により陸上移動は拒まれ、さらに続く「南北戦争」により開拓は停滞した。大西部の本格的な開拓は、リンカーン大統領が南北戦争中に建設を進めた「大陸横断鉄道」の開通を待つことになる。