2022年1月21日金曜日

【アメリカの歴史】12.二つの大戦間の繁栄と崩壊(1918年〜1939年)

【アメリカの歴史】12.二つの大戦間の繁栄と崩壊(1918年〜1939年)


 ウィルソン大統領の主導によって国際連盟が設立されたが、孤立主義を守ろうとする議会の決議によってアメリカ自身は不参加という結果となった。ウィルソンの理想主義的な政策が失敗すると、アメリカは再び孤立主義を選択することとなった。

 経済では、戦場となり疲弊したヨーロッパに変わって、アメリカが世界の工場として大きな位置を占めるようになり、米国国民はかつてない繁栄を謳歌した。急速に消費社会に移行し、ニューヨークなどは摩天楼と呼ばれる高層都市となり、近未来的な世界が登場した。

 電気の普及で夜も明るく、電信電話での遠隔交流が可能となり、ラジオ・新聞というマスメディアの成長によって、市民がリアルタイムな情報を共有できるような情報化社会に向けて社会は進んだ。

 ラジオ・映画・自動車・化学品など、新しい産業と製品が登場し、テキサス州で膨大な埋蔵量の石油が発見されると、アメリカの石油生産は石油時代をリードするようになった。かくして、アメリカの製造業はかつてないくらい繁栄したが、その分、消費財の過剰生産も生まれ始めていた。

 一方で、労働者の賃金は相対的に低く抑えられ、また農産物価格の低下により農民の収入も増えなかった。それでも信用貸しの拡大などで消費経済の拡大は進み、証券市場も過熱気味に膨張した。都市部では、株価や地価が異常に高騰しバブル景気の様相を呈していたが、人々は消費経済の好調に浮かれて顧みることはなかった。

 この狂騒の20年代の社会的な歪みを性格付けたものが、合衆国憲法修正第18条とボルステッド法の組み合わせによる、いわゆる「禁酒法」であった。禁酒法がなぜ成立したかは幾つもの理由があるが、何よりその思想的背景にはアメリカ植民以来のピューリタニズム(清教主義)にあると考えられる。

 禁欲や勤勉を尊ぶピューリタニズムは、アメリカ合衆国の信仰の自由・民主主義などに大きく寄与したが、一方で、その潔癖性や純粋主義・原理主義は極端にブレることもあり、かつてはマサチューセッツのセイラム魔女裁判のような魔女狩りも起こったし、今でもダーウィンの「進化論」を学校で教えることを禁じている州もある。

 古くはアルコールは神からの贈り物であるが、その乱用は悪魔の仕業によるものだという一般的認識が広がっていた。そこへ「アルコールの災い」や酒浸り状態を問題視する宗教団体が登場し、アルコールの過度の乱用は身体的に有害だという医学的見地も示されるなどして、一部の州では禁酒運動が盛り上がった。

 1920年、アメリカで禁酒法が施行された。これは依存症患者が増加したためであり、酒場を地盤にした政治腐敗を減らす試みだとされた。しかし一方には、ユダヤ人やカトリックなどの新移民に対して差別感情が背景にあり、しかも新移民に酒造業を営むものが多く、それらの排斥が現実的な狙いでもあった。

 しかし禁酒法はザル法でもあり、アルコールの摂取そのものは禁止されておらず、家庭でのワインなどの醸造は許可されており、その上、カナダやメキシコとの長い国境を越えて、密輸で多量の酒がもちこまれ、密造酒も横行した。禁酒法施行以後に無数のヤミ酒場が生まれ、国全体の酒の消費量も以前より増加したともいわれる。

 禁酒法は、違法な密造酒や密輸酒を支配することで、アル・カポネに代表されるようなギャング組織に莫大な利益をもたらした。縄張り争いで、ギャングやマフィアの抗争事件は、大都市のいたるところで常態となった。ギャング間の銃撃戦では、数千人のギャングが死亡し、連邦の捜査官も数百の殉職者を生んだ。

 汚職や買収が横行し、有名なエリオット・ネスのアンタッチャブル(買収されないという意味)の物語が生まれたのも、このような状況下のことだった。また、J・F・ケネディの父親は、この時にマフィアと組んで密輸で大儲けし、それが息子たちを政治家にする資金となったとされる。

 未曽有の大好況の下で、このような社会の爛熟腐敗が進んでいたアメリカ社会で、1929年10月24日、突然「暗黒の木曜日」が起こり、史上最高の繁栄を誇ったアメリカはの破綻を迎える。アメリカの「大恐慌」は世界中に波及し、やがて二度目の世界大戦へと突き進んでゆくことになる。

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